LAST HURRAH


Richmond Fontaine


  95年の結成以来、カントリーとハードコア・パンクの「2本立て」という大胆な音楽性でオレゴン州ポートランドのオルタナティヴ・カントリー・シーンの最前線をつっ走ってきた4人組リッチモンド・フォンテーン。
  これまでアンクル・テュペロのデッドリンガーなどと言われることもあったけれど、元フリーホイーラーズのルーサー・ラッセルがプロデュースを担当した99年発表の3rdアルバム『ロスト・サン』はメンバー達のやろうとしていることに、実際やっていることがようやく追いついたことを思わせる意欲作。彼らの無謀な試みが、ついにダイナミックなサウンドに結実し、楽曲が内包する彼らならではの世界観がスケール感たっぷりに描き出されているのだ。アンクル・テュペロのデッドリンガーなどという評価は最早、当てはまらない。しかし、それに対してまだまだ評価は十分ではない。そんな不当に低い評価が改められる日が来るまで、僕はこれからもリッチモンド・フォンテーンをサポートしていくつもりだ。
  今回のインタビューは実は読書家で三島由紀夫と吉本ばななのファンだという フロントマン、ウィリー・ヴローティン(VO、G)が答えてくれた。
●ポートランドで生まれ育ったんですか?
「いや、ネヴァダのリノで生まれたんだけど、25歳の時、バンドに入りたくてポートランドに移ってきたんだ。リノは小さなギャンブルの町で音楽は盛んじゃなかったんだ」

●なぜポートランドだったんですか? たとえばLAやサンフランシスコといった音楽の盛んな大都市に行こうとは考えなかったんですか?
「ポートランドは物価が安かったからさ(笑)。それに地下室付きの家が多いとも聞いていた。地下室があれば、バンドの練習に金もかからないだろ。図書館で新聞を見ながらいろいろ調べたんだ。それでポートランドなら移住しやすいって判断したのさ。でも皮肉なことにポートランドに移ってきた時、引越しで一文なしになってしまって。お蔭で一週間に6日間、運送会社で働かなければならなかった。とてもバンドを組むどころじゃなかったんだ(笑)」

●いつ頃から音楽を聞き始めたんですか?
「多分、11歳か12歳か、まぁ、その頃だよ。はじめはどんな音楽も好きだった。その中でもブルース・スプリングスティーンとジャム、そしてフーには特にハマッてた。パンク・ロックに夢中になったのは、もうちょっと大きくなってからだよ」

●最近はどんな音楽を聞いています?
「トム・ウェイツはずっと好きだよ。それからバンドだろ、それにジェイホークス、ベティ・サーヴァート、OP8、ボブ・ディランってところかな」

●最初に組んだバンドは覚えていますか?
「高校時代にウッドバーンズってバンドを組んでたんだ。リッチモンド・フォンテーンにちょっと似てたけど、全然イケてなかったよ(笑)。そのバンドではカントリー/パンクを演奏してたんだ……つまり、オレはずっと同じような音楽を演奏し続けている。なぜなら、ずっと好きだからさ」

●つまりリッチモンド・フォンテーンを結成した時も、こういうバンドにしようってアイディアが、ちゃんとあったってこと?
「ああ。オレはずっとアメリカン・ルーツ・ミュージックを演奏したいと思っていたよ。フォーク・ミュージックと言うか、語るべき物語のある歌だよ。オレはいろいろな音楽に影響を受けてきた。それにどんなタイプの音楽だって楽しめる。でもオレが心底、好きなのはフォーク・ミュージックなんだ」

●リッチモンド・フォンテーンは、よくアンクル・テュペロと比較されるけど、それについてはどう思いますか?
「別に気にならないよ。彼らはいいバンドで、熱心なファンがいた。それだけだよ。アンクル・テュペロとオレ達は同じようなジャンルの音楽を演奏している、全く違うバンドなんだ。それにオレ達の曲は、より物語重視で彼らよりも暗い情感を湛えている。それにオレ達は明らかに西部のバンドだよ」

●リッチモンド・フォンテーンの音楽的な柱はハードコア・パンクとカントリーですよね。
「ああ。オレはそのふたつを混ぜ合わせるのが好きなんだ。なぜなら、そのふたつはオレにとって、特に意味があるものだからね。パンクは怒りの爆発だろ。カントリー……まぁ言っちゃえばバラードなんだけど、それは深い悲しみの表現だ。そのふたつはとてもエモーショナルで、そんな両極端な表現がオレの気分にぴったりくるんだよ」

●パンクとカントリーでは、それぞれ誰に影響を受けたんですか?
「リノにボストン・ラングラーズってバンドがいたんだけど、奴らは最高のカントリー・パンク・バンドだった。その他、ロング・ライダーズ、ローン・ジャスティス、X、ブラスターズ、グリーン・オン・レッド、ランク&ファイル、リプレイスメンツ、ハスカー・ドゥ、ポーグスは好きだった。ああ、ソウル・アサイラムは特に大好きだった。彼らは最高さ。凄いパンク/カントリーのレコードを作っただろ。それにハスカー・ドゥのグラント・ハート! 高校時代、彼はオレのフェイバリット・ソングライターだったんだ」

●あなたのようにハードコア・パンクと同じようにカントリーを聞く若者って多いんですか?
「どうかな。でも、思うにアメリカ人のほとんどはカントリーとパンクを知っているはずだよ。オレはカントリー好きの人達に囲まれて育ったけど、その後パンクしか聞かないような連中にも出会った。ただ、カントリーって、やっぱり保守的な音楽だと思う。カントリーばかり聞いている人達と一緒にいると苦痛に感じることもあるんだ。でも、カントリーって音楽自体は素晴らしいものさ」

●カントリーはあなたにとって、どんな意味があるんですか?
「カントリーの好きなところは、そこに語るべき物語があるってことさ。同じ理由でオレはアイリッシュ・ミュージックも好きなんだ。カントリーもアイリッシュ・ミュージックも庶民や貧しい人々、そして労働者達の人生が描かれた、物語の歌なんだ。だからこそ心に訴えかけてくるんだと思う」

●ポートランドには若い世代によるルーツ・ロック・シーンが存在すると聞いたけど、そうなんですか?実際、フェルナンドやルーサー・ラッセルら多くのミュージシャンがポートランドに移住してますね。
「ああ。ポートランドには、いいカントリー・ロック・バンドが少なからずいるよ。一緒にライブやったり、お互いのレコーディングに参加しあったりしている。それは素晴らしいことだよ。それにしてもフェルナンドは凄い奴だよ。オレ達はちょうど彼と一緒にツアーして来たところなんだ。ルーサー・ラッセルはオレ達のアルバム『ロスト・サン』のプロデュースを担当してくれた」

●ルーサーを起用した理由は?
「彼はフェルナンドの親友でさ、フェルナンドが紹介してくれたんだ。それで彼が優れたプロデューサーで、いろいろなアイディアを持っていることを知ったオレ達はルーサーに古いSSTレコード(U.S.インディーズを代表するパンク専門レーベル)のサウンドを求めているってことを話したんだ。すると彼はす ぐにオレ達の狙いを理解してくれた。『ロスト・サン』では、とてもいい仕事をしてくれたよ」

●ところで、あなたはストーリーテラーとしても高く評価されていますね。実際、『ロスト・サン』の「フィフティーン・イヤー・オールド・キッド・イン・ノガレス・メキシコ」を聞いて、僕もそう思いましたが、いつも歌の中でどんな人々を描こうとしているんですか?
「歌の中の人物は自然に浮かんでくるんだけど、まぁ他人よりも自分に近いことが、よくあるよ。“フィフティーン・イヤー・オールド・キッド…”に出てくる15歳の少年は、まさにオレなんだ。ただ、オレには家出する勇気はなかったけど(笑)。でも、少年は家出した。オレは少年の理想郷を描こうとしていたんだと思う。彼の安息の地は架空のメキシコにあるんだけど、きっと彼はそれをテレビで見たか、あるいは本で読んだんだろう。彼は辛い人生を送っていた。だから安息を求めて国境を越えたんだ。でも、そこには理想郷も安息の地もなかったってわけさ」

●歌詞には具体的な事柄が描かれているけれど、あなたの実体験が基になっているんですか?
「いや、歌の、ほとんどはオレの強い感情が基になっている。そしてオレの経験、あるいはオレの空想、そのどちらかから、その強い感情にぴったり当てはまる物語を選んで、オレは歌にするんだ」

●歌詞の中に「ブルー・オイスター・カルトのTシャツ」と「ミニットメンのポスター」ってフレーズがあるけど、なぜ、その2バンドを取り上げたんですか?
「事実、オレの彼女がブルー・オイスター・カルトの Tシャツを着ているんだよ(笑)。彼女はいつもその Tシャツを着ている。それとミニットメンはデイヴとオレが大ファンなんだ(笑)。まぁ、そんなちょっとした思いつきなんだけど、歌に出てくる人物が、どういう音楽を聞いているのか表現したかったんだ。そうすることで、その人物のイメージはより具体的になるだろ」

●最後に今後の予定について教えて下さい。
「『ロスト・サン』のツアー中なんだ。それと新作用にデモも録り始めている。できれば夏か秋にはアルバムを出せたらいいと考えているよ」


(インタビュー : 山口智男)

<< ISSUE 001 CONTENTS
TOP | BACK ISSUES | INFO | LINKS


inserted by FC2 system