SLIM CESSNA'S AUTO CLUB interview
BRING JOY, BRING EUPHORIA, WE WANT TO HEAL PEOPLE. (C)STEPHANIE BLACK
スリム・セスナ(左)とマンリー・マンリー
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俺達の音楽はいろいろな要素が溶けあった坩堝なんだ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ そもそもの出会いは、ノー・デプレッション誌に載った、とてもマトモな人間とは思えない面妖な外見を見事にとらえたアー写だった。 こいつらは絶対、妖怪だと思い、鳥肌が立った。 そして、早速、その時点での最新作だった2ndアルバム『ALAWAYS SAY PLEASE AND THANK YOU』を購入してみたところ、まさにゴシック・カントリーなサウンドのオドロオドロしさよりも、ちょっと気が触れたような陽気さがよけいに気味が悪かった。 再び鳥肌が立った。 それ以来、スリム・セスナが率いるこのデンヴァーの6人組に惹かれている。 元々、ウェブ・オンリーのリリースだった作品を、昨年(06年)、スムーチ・レコードがリイシューした『JESUS LET ME DOWN』は3作目のアルバム『THE BLOODY TENENT TRUTH PEACE』発表直後の04年8月のライヴを収録した2枚組のライヴ・アルバム。 ゴシック・カントリー、サイコビリー、ポストパンクなんて表現がふさわしい白熱したライヴの熱狂と恍惚が追体験できるという意味で、彼らの最高傑作と言ってもいいだろう。 そのルックス同様、とんでもない連中だ。彼らのライヴ、ぜひ一度、生で体験してみたいものだ。 バンドのフロントマンであるスリム・セスナへの念願のインタビューがついに実現した。 ●まず最初にスリム・セスナズ・オート・クラブの結成の経緯を教えてください。結成は確か93年でしたね? 「元々はね、俺の家の地下室でうだうだとカントリーを演奏していただけなんだ。それがいつの間にか、人前で演奏するようになったっていうだけで、何かをやろうとか何かを作りだそうとか決めたわけじゃないんだよ」 ●じゃあ、特に具体的な目標があったわけではないんですね? 「そうだね。トラディショナルなアメリカン・カントリーを演奏しようと考えていただけさ。ただ、自分達が思っているようには演奏できなかったんだけどね(笑)。でも、それが後々、俺達らしさになっていったとは言えるんじゃないかな」 ●オート・クラブ以前にバンドをやっていたことはあったんですか? 「ああ。オート・クラブを始めたとき、俺はデンヴァー・ジェントルメンってバンドでドラムを叩いていたんだ。そのバンドには90年から93年までの間、在籍していた。さらに遡れば、ブラッドフラワーズってバンドのメンバーだったこともあるよ」 ●これまで、どんな音楽を聴いてきたんですか? 「いろいろな音楽さ。でも、たいていは友達がやっているバンドを聴いているけどね。マンリーとかウォヴェン・ハンドとかリジェンダリー・シャック・シェイカーズとかさ(笑)」 ●10代の頃、パンク・ロックには夢中になりましたか? オート・クラブはきっとパンクの影響も受けていると思ったんですけど。 「ああ、10代の頃はもちろん、今だってパンクは大好きさ。もっとも、パンクと、パンクじゃない音楽の違いが俺にはいまいち分かっていないけどね。ともあれ、10代を過ごした80年代、俺はデッド・ケネディーズが大好きだったんだけど、今、俺達はデッド・ケネディーズのフロントマンだったジェロ・ビアフラのレーベルに所属している。それってすごいことだよ(笑)」 ●パンクはオート・クラブの音楽に、どんな影響をもたらしましたか? 「オート・クラブはこれまで多くのイカれた連中を巻きこんできた。つまり、さまざまな影響を受けているんだ。俺個人に限って言っても、俺がこれまで見てきたもの、聴いてきたもの、匂いを嗅いできたもの、そして俺が経験してきたこと全てに影響を受けている。だから、パンク一つに限定して、どんな影響を受けたかなんてことはちょっと言えないな」 ●ジェロ・ビアフラのレーベル、オルタナティヴ・テンタクルズと契約した経緯は? 「ジェロとは俺達のアルバムでレコーディング・エンジニアを務めていたボブ・ファーフレイチェを通して、知りあったんだ。すぐに仲良くなって、ジェロは俺達のライヴに遊びにくるようになったんだよ」 ●ジェロはオート・クラブを「世界の果てで演奏しているカントリー・バンド」と絶賛しているけど、オルタナティヴ・テンタクルズはオート・クラブにとって、居心地のいいレーベルですか? 「ああ、もちろん。俺達はレーベルのスタッフ全員と友達なんだ。俺達はお互いにサポートしあっている関係なんだと思うよ」 ●オート・クラブの音楽がゴシック・カントリーと言われることについては、どう思いますか? 「そんなに悪い気はしないな。ただ、ゴシックとカントリーという2つの言葉だけでは、俺達の音楽を語るには足りないとは思うけどね。俺達は自分達の音楽を“アメリカン”と呼んでいるんだ。なぜなら、俺達の音楽はいろいろな要素、たとえば音楽とか文化とか、そういったものが一つの場所、つまりここアメリカで溶けあった坩堝だからさ」 ●そう言えば、デンヴァーにはゴシック・カントリーと呼ばれているバンドがたくさんいますね? 「ああ。それはね、ゴシック・カントリーにカテゴライズされているバンドの多くが何年もの間、一緒に活動してきたからじゃないかい? 中には10代の頃から一緒にやってきた連中もいるんだ。お互いに影響しあっているのさ。ひょっとすると、コロラドの雄大な景色からのインスピレーションがそれぞれの音楽に反映されているのかもしれないけどね(笑)」 ●オート・クラブの中で、あなたは説教師の役柄を演じているんじゃないかと思うのですが、自分達の音楽を通して、リスナーやライヴのオーディエンスに、どんなことを伝えたいですか? 「ははは。説教師っていうのはいいね! 俺達はみんなを幸せにしたいんだ。歓びとともにね。そして、人々に信仰を持ってほしい。俺達のレコードやライヴがファンにとって教会のような存在だったらいいね。そう、俺達はみんなを癒したいんだ。幸福感とともにね!」 ●オート・クラブはアルバムごとにメンバー・チェンジをくり返していますね? 「そうだね。できればラインナップは変えずにいたいんだけどね。現在のメンバーは、これまでで最高だと思うよ。年寄りになるまで、このランナップで続けられたらいいね。まぁ、そんなに遠い日のことではないけどさ(笑)」 ●現在のラインナップの中でもマンリー・マンリーの存在は欠かせませんね? 「ああ。彼の存在は重要だよ。メインソングライターの一人だからね」 ●彼とはどんなふうに知りあったんですか? 「ライヴで対バンしたのさ。その時、彼はマンリー・デ・ダ・ヒーというバンドをやっていたんだ。確か95年か96年のことだったと思うんだけど、その後、何度か対バンしている間に友達になったんだよ。でも、マンリーだけじゃない。誰か一人欠けてもダメなのさ。メンバー全員が全力を尽くすからこそ、俺達の楽曲やライヴは最高のものになるんだ。もし誰かバンドのMVPを決めなきゃいけないと言うんだったら、それはレヴァレンド・ドゥワイト(ドゥワイト・ペンタコスト)だろうね。それについては、メンバー全員が同じことを言うはずさ」 ●ところで、あなたが参加しているブラックストーン・ヴァレー・シナーズについて教えてください。 「3年ぐらいロード・アイランドに住んでいたことがあるんだけど、その時、やっていたプロジェクトさ。いわゆるローカル・バンドってやつさ。今も時々、集まったりするけどね」 ●最後に、今後の予定を教えてもらってもいいですか? 「オート・クラブは現在、新作をレコーディングしているんだ。マンリーとやっているデンヴァー・ブロンコスもレコードを作っているところさ。そうそう、オート・クラブは近い将来、ライヴDVDもリリースする予定だよ」 (インタビュー◎山口智男) |
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