JESSE SYKES & THE SWEET HEREAFTER


オルタナ・カントリーと言われると、
変化することや成長することを否定されたような気持ちになる。
今回のアルバムは、それを根本から変えたと思う



最新アルバム『マーブル・サン』における変貌を、意外と感じた僕は、ひょっとすると、彼女達の音楽の本質を、しっかりと聴きとっていなかったのかもしれない。

ジェシ・サイクス&ザ・スウィート・ヒアアフター。

ルーツ・ロック・ファンの間では、元ウィスキータウンのギタリストと、その恋人が始めたバンドとして知られていたシアトルの4人組だ。

2002年、タッカー・マーティンがプロデュースした『Reckless Burning』でデビュー。その後、バースーク・レコードと契約して、『Oh, My Girl』(2004年)、『Like, Love, Lust & The Open Halls of The Soul』(2007年)と順調にアルバムをリリース。ギターをトゥワンギーに響かせたスウィート・ヒアアフターのアンニュイなカントリー・サウンドは、美しさと謎めいた魅力を持ったジェシの容貌とともにアメリカ、ヨーロッパで支持されてきた。

前作から4年ぶりとなる『マーブル・サン』はバースークを離れ、自らのステーション・グレイからリリースした4作目のアルバム。

アンニュイという意味では、彼女達の魅力は変わらないものの、前3作とは明らかにベクトルが変化したことを思わせるギターを軸にしたサイケデリック・サウンドは、前作と今回のアルバムの間に僕らが予想もしていなかった跳躍があったことを印象づける。

フィルが狂おしいギター・プレイを繰り広げる後半は、まさに神懸かり的と言ってもいい。老婆のようなしゃがれ声に変化したジェシの歌声に戦慄。

そんな変化は前作発表後、サンO)))、ボリス、アース、ブラック・マウンテンら、ヘヴィー・サイケ・バンドと共演したことがきっかけだったらしい。しかし、思えば、デビュー・アルバムの冒頭でギターのフィードバック・ノイズが意味ありげに鳴らされたときすでに『マーブル・サン』の誕生は約束されていたのかもしれない。

4作目にしてついに日本デビューを飾ったバンドを代表して、ジェシがインタビューに答えてくれた。



●まず、スウィート・ヒアアフター結成のいきさつを教えてください。

「結成は2001年。と言っても、ある日、急にバンドを始めましょう、と決めたわけではなかった。そもそもは自分の曲をレコーディングしたいと思って、この人なら、と思っていたミュージシャン達に声をかけたのよ。みんな、快くイエスと言ってくれて、レコーディングしおわってからも私達は一緒にプレイしつづけることにした。それがいきさつよ。初めはプロジェクトだと考えていたけれど、プレイしているうちにバンドだと思うようになった。それから何度かメンバー・チェンジしたけど、フィル・ワンドシャー(ギター)、ビル・ハーゾグ(ベース)、私の3人は結成の頃から変わらない。エリック・イーグルは2006年からドラマーとして参加しているわ」

●私生活のパートナーでもあるフィルとはどんなふうに知り合ったんですか?

「フィルとは1998年に知り合った。バーでね(笑)。彼がライアン・アダムスとウィスキータウンってバンドをやってたのは知ってる? 『Strangers Almanac』を作ったあと、ライアンと仲違いして、バンドを辞めたフィルはシアトルでやり直そうと考えた。ウィスキータウンのメンバーだった頃、ツアーでシアトルを訪れたとき、シアトルを気に入ったみたい。考えてみれば、彼と私はかれこれ10年もつきあっているのね。実は、もう恋愛関係ではないんだけど、それでもまだ一緒に音楽を演奏しつづけている。その事実が私達2人がどれだけ自分達のバンドに心血を注いでいるかを物語っている。バンドは私達の子供であると同時に私達の人生そのものなのよ」

●スウィート・ヒアアフターを始めたとき、どんな音楽を演奏しようと考えていたんですか?

「いろいろ影響を受けてきたし、今も受けているけど、バンドを始めたときは、私個人はいわゆる名盤からソングライティングを学ぶ必要があると感じていたから、シンガー・ソングライターと言われているアーティストに注目していた。タウンズ・ヴァン・ザントとか、ウィル・オールダムとか、ニール・ヤングとかね。その他にも多くのカントリー・ロックやフォークを聴いていた。私達の最初のレコードがフォークの影響が色濃い親密さを持った作品になったのは、そういう理由からだった。もちろん、たまたまそういう作品になったというだけで、はっきりしたコンセプトがあったわけでも、誰か一人のアーティストみたいになりたいと考えていたわけではないのよ」

●タウンズ・ヴァン・ザント、ウィル・オールダム、ニール・ヤングの名前が挙がりましたが、シンガーとして、そしてソングライターとして、その他、どんなアーティストから影響を受けましたか?

「実は心の奥底では、自分はミュージシャンでもソングライターでもないと思っているのよ。むしろ存在の複雑さを気品とともに描写する直感的な音の体験を創り出そうとすることによって、生きることを理解しようとしている人間とでも言うべきかしら。だから、私にとって音楽が唯一の影響と言うことはできない。言ってみれば、私は目撃者なのよ。映画、本、ヴィジュアル・アート、それだけじゃない。私が出会った人々、私が耳にした物語、自然界で起きたことすべてが私にとってインスピレーションになる。山、川、そして木々からも影響を受けることはあるわ。それに戦争、暴力、慈悲の心、憧れ、欲。もちろん喪失からもね」

●では、ここでは音楽に限定して、これまでどんなアーティストやバンドを聴いてきましたか?

「ジョージ・ハリソン、ザ・バンド、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、テレヴィジョン、ガン・クラブ、グレイトフル・デッド。最近はカン、フラワー・トラヴェリン・バンド、ボリス、ホークウインド、ニコライ・ダンガーを聴いている。もちろん、それらはほんの一部だけど」

●最新アルバムの『マーブル・サン』と、それまでの3枚のアルバムには明らかな違いが聴きとれますね。『マーブル・サン』では、これまでのダーク・カントリーがサイケデリックなフォークとでも言うべきサウンドに変化しました。

「メンバー全員が進歩してきた結果よ。サンO)))やボリスと共演したことが私達にアーティストとして飛躍させたことは言うまでもない。彼らとの共演は、何年もの間、眠っていた自分達の可能性を私達が改めて試す手助けをしてくれただけでなく、私達がこれまでとちょっと違う評価をされる機会も与えてくれた。もちろん、だからって、これはこの間、別のインタビューでも言ったんだけど、私達が音楽を通して、陰鬱さや憂鬱さを表現していることに変わりはない。ただね、メタル・ファンを含む、よりヘヴィーな音楽のリスナーが偏見を持たずに私達の内なる世界に興味を持ってくれたことには感謝している。お陰で、そういうバンドと共演しても私は引け目を感じることはなかった」

●『マーブル・サン』を作るにあたっては、どんなアイディアを持っていたんですか?

「そうね。私達にはたくさんのアイディアがある…そう思いたい!(笑) 何よりもヴィジョンを持つことが大切なのよ。それが自分を進歩させ、自分が満足していると考えているところからさらに前進させるのよ。満足しているってことは、つまりもう成長することをやめてしまったも同然じゃない。アーティストにとって、何が重要って、常に自分がやっていることに没頭していることと、正しい道を進むこと。楽をしたり、危なげない作品を作ったりすることは簡単かもしれないけど、それをやってしまったら、ろくな作品にならない。

バンドのサウンドは率直さと意欲の反映であるべきよ。今回、私達は、よりヘヴィーな音響を追求していた。だけど、今にも壊れそうな繊細さも失いたくなかった。感情的な重苦しさこそが何よりも重要だと感じていた。音楽にはそれを聴いた人が自ら埋めるようなすき間が必要なのよ。

だから、私達の曲の多くは、曲の中に曲がある。そこには音楽体験が生まれる宇宙がある。私は曲を作るとき、こんなふうに考えるわ。私が作った基礎の上に私の声が収まるような家を、フィルが建てるんだって。その家にはいくつも部屋があって、それぞれの部屋にはそれぞれに異なる色、異なる眺め、そして異なるヴァイブがある。私はそんなふうに自分達の音楽を考えているし、感じている。私達の音楽はとても大きな音のマンションなのよ」

●今回、新しい音楽の領域を求めること、あるいは音楽の領域を広げることはテーマの一つでしたか?

「意識していたわけではないけどね。自然な結果だった。当時、私達の私生活には、いろいろなことが起こっていたんだけど、その時作っているアルバムが音的に私生活の混乱を映し出すことは当然と言えば、当然じゃないかしら。新しいアルバムはまさに旅なのよ。そこにはリスナーにちゃんと聴きとってほしい感情的な重苦しさがある。私にとって、人生とは、とても重苦しい感情的な経験よ。美しさと、それと同じぐらいの悲しさに満ちたね。音楽にはそれらすべてが含まれている必要がある。そうでなければ、音楽なんて無用の長物よ。繰り返しになるけど、私が人間として成長すれば、私が作る音楽はそれを反映するだろうし、より大きなものになって、私達の内なる変化を映し出すはずだわ」

●これまで言われてきたオルタナ・カントリー・バンドという形容については、窮屈に感じていましたか?

「そうね。私達はそんな一言に収まりきらないと感じていたから、その言葉はずっと嫌いだった。レッド・ツェッペリンだって、ローリング・ストーンズだって、時々、カントリーあるいはフォークっぽい曲をやっていたけど、誰も彼らをカントリー・バンドだとかフォーク・バンドだとかと呼んだりしなかったじゃない。私達はエネルギーの塊なのよ。私達の音楽は、私達の生き方の反映なのよ。そして、それは常に変化しているのよ。オルタナ・カントリーと言われると、変化することや成長することを否定されたような気持ちになる。そんなのごめんよ。幸いなことに今回のアルバムは、それを根本から変えたと思う。私達がそんな一言に収まるようなバンドじゃないことを実感する人は多いはずよ」

●スウィート・ヒアアフターのライヴにはどんなお客さんが来るんですか?

「あらゆるタイプの人達よ。サンO)))やボリスと共演したり、アースとツアーしたりしてからは、メタル・ファンが増えたけど、正直、自分でも感心しちゃうぐらい本当にいろいろなタイプの人達が私達の音楽を気に入ってくれてるのよ。だから、こういう人達と言うのは難しいわね。ヒッピー、メタルヘッド、アーティスト気取り、一匹狼タイプ、悲しげな人、幸せな人…あらゆる年齢層の、あらゆるタイプの人が来てくれる」

●楽曲が人間の女の子とヴァンパイアの恋愛関係を描いたサザン・ゴシックなテレビ・ドラマ『トゥルー・ブラッド』に使われたそうですね。

「そうなの! 興奮したわ。でも、観ている人が聴きとれないぐらい音量が小さくてがっかりだった。私、テレビを持ってないのよ。私達の"The Dreaming Dead"(『Oh, My Girl』収録)という曲が使われた第1話しか観たことがないから、ドラマそのものにはついては何も言えないけど、私達の曲が使われたのは、主人公のスーキーとヴァンパイアのビルが初めて出会うシーンだったのよ」

●9月28日から長いツアーが始まりますが、みなさんにとってツアーの楽しみって?

「私達は西海岸のバンドだから、移動は決まって長時間になるじゃない? だから、その間、いろいろと考えられるところがいい。インターネット、テレビ、いわゆる娯楽から離れられるところも好きよ。考えたり、書いたり、みんなと冗談を言い合ったり、美しいものを見たりできるそういうシチュエーションがいい。すべてが開放的でね! 睡眠不足でいつも大変な思いをするけどね(笑)」

●最後の質問です。あなたのことをアメリカのミュージック・シーンで最も美しい女性と賞賛する人が少なくありませんが、そんなふうに言われることについては、どう感じますか?

「ワオ。そんなこと聞いたことないけど。私がそれについてとやかく言うことでもないし。もちろん、光栄ではあるけれど、でも、自分ではそんなふうには思わない。自分の本分である音楽から常に逸れないようにするかわりに私は外見については無頓着だった。私はこれまでずっと女性であることを控えめに見せてきた。ステージでもステージ衣装らしい衣装も着ないし、ほとんどノーメイクだし。できることならば、肉体的なことを超えて、人々に何か思い起こさせることができるような存在になりたいわね」

(インタビュー◎山口智男)


『Marble Son』
(Daymare)


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