LUCERO interview JUST SHUT UP PLAY THE GUITAR. WE AIN'T NOBODY'S DARLINGS. left to right : Brian Venable, Ben Nichols, Roy berry, John C. Stubblefield (c)Last Hurrah |
「ロックンロールと言えば、やっぱり南部だ」。 それを俺達は多くの人達に思い出させているんだ。 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 9月末、ついにルセロは日本にやって来た。 今回はLAのアイリッシュ・パンク・バンド、フロッギング・モリーの来日ツアーのスペシャル・ゲスト。しかも、右も左も分からない初めての日本ということで、ほとんど“アウェイ”に近い、決して演奏しやすいとは言えないシチュエーションだった。しかし、彼らは渾身の力を込めた演奏を披露。 その熱演はそれまでルセロの存在を知らなかったフロッギング・モリーのファンをも魅了したに違いない。 東京公演の本番直前、リキッドルームの楽屋でメンバー全員にインタビュー。 その音楽と見た目から思い描いていたものとはちょっと違う4人の横顔を垣間見ることができたような気がした。 特にフロントマンのベン・ニコルズ。いかにも南部の生まれ育ちならではのタフガイと思いきや、こんなに“エモい”人間だったとは!(笑) ともあれ、何がホンモノで、何がホンモノじゃないか、それには諸説あるだろう。 しかし、今回、彼らの話を聞き、ルセロというバンドが自分達の生活や人生に根を下ろしているという意味で、常にリアルであることを追求しようとしていることを改めて痛感させられた。だからこそ、全米各地で多くの人達が彼らの歌を聴き、熱狂しているんだ、と。 たとえば、「ザ・ウォー」や「ラスト・ナイト・イン・タウン」といった曲に言及した発言は、なかなかに興味深い。 そこには生身の人間の生活が描かれている。 (話は少々飛躍してしまうかもしれないけれど)それに比べれば、対岸の火事を眺めているだけの人間が口にする批判や反対の言葉が、いかに薄っぺらいか……。 そんなことまで考えさせられ、個人的にはとても有意義な時間を過ごすことができたインタビューだった。 ●まず、ルセロというバンドがどんなふうに始まったのか改めて教えてください。 ベン・ニコルズ(VO,G) 「結成は98年。ブライアンと俺が出会ったことが、そもそもの始まりさ。その頃、ブライアンはカントリー・バンドをやりたがっていたんだ。当時、俺はまだ、パンク・バンドをやってて、ブライアンはバンド経験がなかった。実際にバンドを始める前は、ブライアンと一緒に、いろいろなライヴを見に行っていたんだけど、俺はそこでカントリー・ロック・バンドを初めて見たんだ」 ロイ・ベリー(DR) 「ある日、コーヒー・ショップにいたら、たまたまブライアンがドラマーを探しているんだと言っていたんで、『俺ドラマーだよ』って声をかけたんだ。それで彼らと一緒にやるようになったんだけど、俺が加わったときは、まだ前のベーシストとレイコってヴァイオリン奏者がいたんだよ。その頃、ジョンはメーガン・ライリーのバンドでアップライト・ベースを弾いてて、それがかっこよかったんで、ルセロに誘ったんだ」 ●ルセロを始めたとき、ベンはパンクには飽きていたんですか? ベン 「って言うか、ソフトで静かな音楽をやりたいと思ったんだよ。で、実際、そういう音楽をやっていたんだけど、いまはまた、ラウドなバンドに戻っちゃったんだ(笑)」 ブライアン・ヴェナブル(G) 「パンクもやりつつ、他の音楽もやりたいんだよ」 ●カントリーを知ったのは、いつ? ベン 「カントリーはいつでも自分達の身近にあったよ。だけど、俺達全員、ずっとロックンロールやパンクを聴いてきたんだ。このバンドを始めるまで、レコード屋で働いていたブライアン以外の3人はカントリーを真剣に聴いたことはなかった。ブライアンはまるで音楽の辞書みたいな奴で、俺達、彼からいろいろ教わったんだよ」 ●つまり、10代の頃はカントリーはダサい音楽だと思っていた、と? 全員 「もちろん!(笑)」 ●以前、インタビューしたとき、ベンは「ポーグス、リプレイスメンツ、トム・ウェイツ、ブルース・スプリングスティーンに影響を受けた」と言っていたけど、他の3人はどんな人達に影響されたんですか? ロイ 「モトリー・クルーとか昔のヴァン・ヘイレンとか、その他、エイフェックス・ツインとかスクエアプッシャーとか、テクノと言うか不気味な音楽や、南部のヒップホップも聴くよ」 ブライアン 「ニール・ヤングのようなシンガー・ソングライターや南部のヒップホップも好きだけど、やっぱりパンク・ロックに一番影響を受けているよ。昔のブラック・フラッグが大好きなんだ」 ●ジョンは? ジョン・C・スタッブルフィールド(B)「ファイヤーホースのマイク・ワットだね。もちろん、ミニットメンも好きだよ」 ●ジョンは以前、クラシックをやっていたそうですね。 ジョン 「ああ。小学2年から、大学までずっとやってたよ。2つの交響楽団のメンバーだったんだ。だけど、パパ・ブッシュが芸術関係の予算をカットしたため、それまで6人だった奨学生が2人に減らされて、お蔭で俺は奨学金を貰えなかった。それで、従兄弟がやっていていたビッグ・アス・トラックってバンドで演奏しはじめたんだ」 ●今後、クラシックの世界に戻ることはありそうですか? ジョン 「それは分からないけど、可能性がないとは言えないよ」 ●ベンはアーカンソーで生まれ育ったそうですけど、他の3人はメンフィス出身? ロイ 「ジョンとブライアンはメンフィス出身だけど、俺はフロリダのゲインズヴィル出身なんだ」 ●ああ、そうなんだ。ベンとロイは、なぜメンフィスに? ベン 「カレッジを卒業したあと、その頃、つきあっていた女の子を追いかけてメンフィスに行ったんだよ」 ロイ 「俺は兄夫婦に『おいでよ』って誘われたんだ。それで、家財道具全部を妹に売って引っ越したんだ」 ●メンフィスは暮らしやすいですか? 全員 「イエス。生活費が安い!」 ブライアン 「メンフィスに移ってきた連中は全員が全員、そのまま居座るね」 ●音楽活動するにもいい所ですか? ベン 「もちろん。音楽の歴史もあるし」 ブライアン「誰もがやりたいことをやっている」 ●以前、インタビューでベンが「自分達が南部出身であることが大事なんだ」と言っていたんですけど、アメリカ中をツアーして、自分達が南部の人間なんだと実感することってありますか? ベン 「どうだろ。最近はアメリカ中、どこに行ってもそんなに変わらないんだけど、場所によってはそういうこともあるかもね。たとえば、ニューヨークやカリフォルニアとか東京は、すごくクレイジーで、誰もがせかせかしているけど、南部はもっとのんびりしてて、何事に対してもイージー・ゴーイングってところはあるよ。場合によっては、そういう南部気質が怠慢さとして表れてしまうことがある。特に音楽シーンでは、誰もがそこに居座っちゃって、外へ出ていこうという気持ちがなくなっちゃうんだよ。だからこそ、俺達はできるだけアメリカ各地をツアーしようと努力しているんだ」 ●ノース・ミシシッピ・オールスターズのルーサーとコディは「自分達は南部の出身であることを誇りに思う」と言ってたんだけど、みんなはどうですか? ベン 「俺達もそう思うよ」 ブライアン 「だって、自分の故郷だからね」 ジョン 「もちろん、人種差別や犯罪の問題とか、悪い部分もあるけど、それを越えたところで、故郷を愛しているんだよ。それは南部に限らず、どこでもそうだと思うけど、もっと、いろいろな面で努力しなきゃいけないって部分も気に入っているんだ」 ブライアン 「それにメンフィスはロックンロール発祥の地でもあるし」 ジム・ディッキンソンはレコーディングの間中、 それが完璧なものにならないように見張っていたよ ●クロスビートのインタビューで、ベンは「メンフィスを含む南部には敗者の文化がある」と言っていましたね。 ベン 「ああ、そんなことを、どこかで読んだんだよ。南部にはいまだに敗者ムードが残っているって。確かに、アメリカの他の場所では、そういうことはないんじゃないかな」 ブライアン 「北部には、そういう感覚はないだろうね。やっぱり、南部には南北戦争に負けたときの像とか記念碑があるから、そういう歴史にいつも囲まれていると、どうしたって意識せざるを得ないんじゃないかな」 ベン 「そうそう。負け犬気分って言うか、追放されたような、孤立しているような、そんな気分になるんだよ」 ●それが反骨精神につながったりするんですか? ベン 「いや、それはないよ」 ブライアン 「バンドとして負け犬云々って気持ちはこれっぽっちもない。ただ、歳をとっている人達はそれをひきずっているかもしれない。実際、今の政治に不信感を抱いているお年寄り達はいるよ」 ●ところで、以前、ハープ・マガジンがサザン・ロック・リヴァイヴァルという特集を組んで、キングス・オブ・レオン、ドライヴ・バイ・トラッカーズ、マイ・モーニング・ジャケット、ノース・ミシシッピ・オールスターズと一緒にルセロも取り上げていたんですけど、そういうふうに取り上げられることについては、どう思いますか? ベン 「そういうバンドと一緒に取り上げられるなんて、すごく光栄なことだよ。それに俺達だけじゃないんだって思うと、頼もしい気分にもなるしね」 ジョン 「どういう形であれ、認められることは嬉しいよ」 ベン 「ああ、キングス・オブ・レオンは、すごく好きだから、彼らと一緒に取り上げられるなんてうれしいよ」 ●現在、南部のロックがアメリカン・ロック・シーンの新しいトレンドとなりつつある実感はありますか? ベン 「いや、トレンドってことはないと思う。ただ、ニュー・サウス・レヴォリューションなんて言える動きは確かにあって、自分達もその一部だという意識はある。かつて、レーナード・スキナードやクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、まぁ彼らは南部のバンドではないけど、そういうバンドがそうだったように、俺達は『ロックンロールと言えば、やっぱり南部だろ』ってことを多くの人達に思い出させているんだと思うよ」 ジョン 「音楽はもちろんなんだけど、レコーディングの方法もまた、ホンモノだって部分で、南部は注目されているんだと思う」 ●つまり、ジョンはウソっぽいレコードが多いと感じている、と? ジョン 「そうだね。そう感じることもあるよ。今の技術はニセモノをいくらでもホンモノっぽく作りだせるだろ。それを切ったり貼ったりしたレコードは、やっぱりホンモノとは言えないよ」 ●じゃあ、ほとんどライヴ・レコーディングに近い『ノーバディーズ・ダーリン』は、バンドの本当の姿を捉えるという意味で挑戦だったわけですか? ジョン 「ああ。俺達は真実を取り出そうとしたんだ」 ベン 「みんなで一緒に演奏したんだ。2、3回演奏した中で一番いいテイクを選んで、収録したんだよ」 ロイ 「レコーディング中、ヘッドホンを付けてたのは俺だけだよ。マイクも3、4本しか立ててなかった。すごく自然な感じで演奏したんだ。ただ、ヴォーカルだけは雑音がいろいろ入っちゃうんで、後から録ったんだけどね」 ●へえ。ジム・ディッキンソンとのレコーディングはどうでしたか? ベン 「最高だったよ。ジムはビッグ・スターとかリプレイスメンツとか、いろいろなバンドと、いい仕事をしているだろ。レコーディングはすごく楽だったよ。ミシシッピの農場にある彼のスタジオでやったんだけど、ジムはレコーディングの間中、ずっとアルバム全体がロックするように、そして完璧なものにならないように見張っていたんだよ」 ●完璧なものにならないように? ベン 「そう。できるだけ生々しさが残るように、後で手を加えたりしないように見張っていたんだ」 ●レコーディング中、彼がボブ・ディランやローリング・ストーンズとレコーディングしたときのエピソードを聞かせてもらったりしましたか? ブライアン 「いろいろ聞かせてもらったよ。って言うか、レコーディング中、今のはグラム・パーソンズっぽかったとか、ボブ・ディランとやったときは、こんな感じだったとか、いろいろな感情が演奏に表れるように、そういう話をたくさんしてくれたんだよ」 ロイ 「そういう話を聞かせてもらったお蔭で、そういう偉大なアーティスト達とつながりができたような気持ちになれたよ」 ブライアン 「そうだね。今のギターは(リプレイスメンツの)ボブ・スティンソンに似ていたよとかって言われると、気持ちが大きくなって(笑)、レコーディングにすごくいい影響があったんだ」 ●レコーディングには何日ぐらいかけたんですか? ベン 「確か2週間ぐらい?」 ロイ 「レコーディングそのものは10日ぐらいだったね」 「ラスト・ナイト・イン・タウン」という曲は、 明日イラクに出征する海兵隊の友達と飲み明かすってストーリーなんだ ●「ルセロにとって歌詞はとても重要だ」と、以前、ベンが言ってたんですけど、歌詞は実体験が基になっていることが多いんですか? ベン 「ほとんどが実体験だね。ただ、いつも女の子や恋愛についてばかり歌っていると言われているんでね(笑)、最近は他の事柄からもインスピレーションを受けられるように、いろいろ視野を広げようと努めているよ。自分でもいつもいつも同じような曲ばかり作りたくないしね。たとえば、『ノーバディーズ・ダーリンズ』に入っている“バイクライダーズ”は、『THE BIKERIDERS』という写真集からアイディアを借りてきたんだけど、そういう意味では、これまでの作り方とは大分違うよね」 ●じゃあ、16歳の女の子に恋した経験を歌った「CHAIN LINK FENCE」(『TENNESSEE』の収録曲)も実体験? ベン 「そう、実話さ!! 俺が21歳のときの思い出だよ(と真っ赤になる)」 ●あー、そうなんだ! ベン 「彼女を追いかけて、メンフィスに行ったんだ。その後、彼女とは5年間つきあったんだけどねぇ(苦笑)」 ●そこまで赤裸々に語らなくても(笑)。『THE BIKERIDERS』は僕も買いましたよ。 ベン 「ホント!? あれは素晴らしい本だよね。60年代のバイク・ギャング達の写真集なんだけど、そこに映っている連中は俺の友達みたいで、親近感があるんだよ。それで興味を持って、最終的には曲まで作っちゃったってわけさ。『ノーバディーズ・ダーリンズ』のジャケットは、その中の写真を真似ているんだけど、作者のダニー・ライオンは俺達が支払った著作権使用料の一部を、その写真のモデルに支払ったんだってさ」 ●ふだんから本はたくさん読むんですか? ベン 「本当はもっとたくさん読まなきゃいけないんだろうけど、そんなには読んでないな。歴史関係の本は好きなんだけどね」 ●ルセロの曲の登場人物は大抵、旅をしていたり、定住していないことが多いんですけど、それは常にツアーしている自分達の生活が反映されているんですか? ベン 「そうだね。ツアーばかりしているせいで、そんなことになってしまうんだけど、大体、彼女に出ていかないでほしいという気持ちか、彼女と一緒にいたいけど、行かなきゃいけないという気持ちが曲には込められているね」 ●また、登場人物はみんな、不安や満たされない気持ちを抱えてて、それはやはりツアー生活がそういうものだからなんですか? ベン 「そういう部分もあるよ。誰かを失ってしまった喪失感や、いまはもういない人を懐かしむ気持ち、何かに焦がれる気持ち、そういう気持ちは常にあると思う。もちろん、どこにも行かずに同じ場所にいたって、時間が流れれば、そういう気持ちになることだってあるし、同じ街にずっといたって、前とはまるで違う街なってしまったりすることだってあるだろ? そういう気持ちも表現しているよ」 ●さっき歴史関係の本が好きだと言っていたけど、第2次世界大戦に出征した兵士の独白になっている「ザ・ウォー」(『ノーバディーズ・ダーリンズ』に収録)は、何かそういう本からのアイディアですか? ベン 「いや、あれは俺の祖父について歌ったものなんだ。祖父には、いろいろ聞きたいことがあったんだけど、俺が12歳のときに亡くなってしまって、結局聞けずじまいだった。だから、家族に聞いたり、自分でいろいろ調べたりして、歌詞を書いたんだ。そこで歌っていることは、ほとんどが事実だよ。祖父は階級が上がったとき、責任を負いたくなくて、階級が下がるようなことを本当にやったんだ」 ●いま、そういう曲を作ったのは、アメリカのイラク派兵と関係あるんですか? ベン 「いや、ないよ。直接的にはね。ただ、こういう曲を作ったことに感謝してくれる海兵隊の連中がいるんだ。そんなふうに曲の意味が広がったってことはあるけど、作ったときはイラク戦争のことは意識していなかった。『ノーバディーズ・ダーリンズ』に“ラスト・ナイト・イン・タウン”という曲があるんだけど、あの曲は明日イラクに出征する海兵隊の友達と飲み明かすってストーリーなんだ」 ●現在、多くのバンドがルセロのことを絶賛していますね。 ベン 「それは俺達がいろいろなタイプの曲をやっているからだと思うよ」 ●逆にみんながいいと思うバンドっていますか? ベン 「俺質全員、アゲインスト・ミー! が大好きだよ」 ロイ 「その他にもディス・バイク・イズ・ア・パイプ・ボムとかサザンビッチとかリンベックとかアメリカン・プリンセスとかドラッグ・ザ・リヴァーとか」 ブライアン 「ブルックリンのホール・ステディー」 ベン 「ああ、彼らはすごくいいね」 ジョン 「グロサリーもいいバンドだよ」 ブライアン 「いろいろなバンドとツアーを回れて、友達になれるなんて、とてもラッキーだと思うよ」 ●みんながいいと思うバンドには何か共通点はあるんですか? ベン 「曲がいい」 ロイ 「イメージをベースにしたおしゃれなバンドではなくて、本当に生身の人間っぽいと言うか、やっている音楽やスタイルはそれぞれに違うかもしれないけど、リアルな音楽を演奏しているバンドだよ」 ●ツアーはとても大変だと思うのですが、それにもかかわらず、年に200日もツアーに出ているのはなぜですか? ベン 「なぜって、レコードを売るための唯一の手段だからさ。それにツアーに出なきゃ、バンドは成長できないと思う」 ジョン 「俺達は自分達を向上させたいんだよ。だけど、誰かがやってくれるわけじゃない。だから、自分達でやるしかないんだ」 ロイ 「それに100日じゃ請求書を全部支払いきれないのさ(笑)」 ベン 「大変だけど、何だかんだ言って、ツアーは楽しいんだよ」 ●現在、ルセロはリバティー&ラメントという自主レーベルを運営していますね。ただ、ルセロだったら、いろいろなレーベルから声がかかると思うんですけど、大きめのインディーやメジャーと契約したいとは思いませんか? ベン「確かに、大きめのインディーからは声がかかったけど、メジャーとは一度も話したことはないよ。実はいま、ディストリビューションはワーナー・ブラザーズ傘下のイースト・ウエストに任せているんだ。だから、その他のメジャーとは話はできないんだよ。それに、どこかに所属するよりも自分達で曲の権利を持っているほうが何 かといいんだ。たとえインディーとは言え、一度契約してしまうと、曲の権利を自分達で持つことや、そのレーベルを離れるときに権利を取り戻すことは難しいからね」 ●では、今後、ルセロというバンドを、どんなふうに発展させていきたいですか? ベン 「とにかくツアーし続けるよ。俺達はいろいろなサウンドを持っている。アコースティックのレコードを作ったり、もっとロックンロール色濃いレコードを作ったり、いろいろできると思うんだ。俺達は一つのものに囚われていないんだ。いろいろな可能性がまだまだあると思う。だからこそ、この先ももっとツアーをやって、バンドを続けていきたい。それに曲作りだって、もっともっと磨いていきたいよ」 (インタビュー◎山口智男/通訳◎国田ジンジャー/協力◎Bullion) |
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