LAST HURRAH

        祝・初来日!! ライアン・アダムス特集

        column ★ ウィスキータウン再評価
        「I'LL ALWAYS LOVE YOU THOUGH, WHISKEYTOWN !! 〜僕がいまライアンに望むこと」



(『Strangers Almanac』当時のラインナップ)

90年代半ば、ジェイホークス、サン・ヴォルト、ウィルコの三羽ガラスを筆頭に群雄割拠の様相を呈していたオルタナ・カントリー・シーン真っ盛りの時代。

震源地となった中西部の都市から少し離れた南部の都市ノース・カロライナからウィスキータウンがデビューしたのは95年。当時、この手のオルタナ・カントリー・サウンドのことを、その野暮ったさというか、洒落っ気のなさ、田舎臭さから、僕はよく親しみを込めて“イモ・ロック”なんて呼んでいたものだけれど、その土地柄のせいか、たっぷりフィーチャーされたフィドルの音色のせいか、ウィスキータウンのイモ臭さはダントツで、パンクの感性を持った若い世代によるカントリーの再解釈なんて言われていたオルタナ・カントリーの定義に、ライアン・アダムスほどしっくりハマって見えたキャラクターはいなかった。

それはもちろん、彼の外見的な特徴とか、伝え聞く数々の武勇伝(?)とか、もっぱら音楽的な要素以外のイメージに拠るところが大きかったんだけれど、それでもウィスキータウンのデビュー作『Faithless Street』(96年)が、アンクル・テュペロのデビュー作『No Depression』(90年)と双璧をなしてオルタナ・カントリーを象徴する名盤であることを、僕は今でも信じて疑わない。

実際にウィスキータウンの名が広く知れ渡ることになったのは97年の2作目『Strangers Almanac』発表後で、当時にわかに盛り上がり始めていたオルタナ・カントリー・ブームの最後の切り札を血眼になって探し求めていた業界にとって格好の逸材だったライアン・アダムス(=ウィスキータウン)は、このとき初めて鳴り物入りでシーンの表舞台に登場した。

ポール・ウェスターバーグ(=オルタナティヴ)とグラム・パーソンズ(=カントリー)両方の遺伝子を受け継いだ彼は、決して祭り上げられたわけではなく、選ばれるべくして選ばれたんだと僕なんかは素直に思うんだけど、しかしこれを機に、天の邪鬼の彼はオルタナ・カントリーというレッテルを貼られることを嫌って意識的にその手の音から遠ざかっていくようになったのは明らかで、ギクシャクしたメンバー間の軋轢からバンドも事実上の解散状態に追い込まれると、『Pneumonia』以降の作風に色濃く見られる彼のパーソナルでメランコリックなシンガーソングライター志向はみるみる強まり、『Faithless Street』時代のような面影はソロ転向後にはすっかり消えてなくなってしまった(と僕は思う)。

次々に繰り出してくる彼の新作を聴くたびに、僕はいつもその完成度の高さと彼のズバ抜けた才能にため息を漏らしながら、一方で、あの頃のようなイモ臭さを失ってしまった彼の姿に、正直なところ、ちょっと嘆かわしい気持ちも拭いきれないでいる。

ブームは去り、オルタナ・カントリーはアメリカーナという広義のルーツ志向音楽と同義になって、当時雨後の筍のように次々に現れたバンドの多くはもういない。オルタナ・カントリーなんて言葉を使うこと自体、もはや気恥ずかしい気もするけれど、僕はせめてあの名盤を世に送り出してくれた2人のオリジネイターくらいには、その気概を見せつけ続けてほしいと思っている。

サン・ヴォルト再始動を決めたジェイ・ファーラー。他のメンバー全員にそっぽを向かれてもなお、彼がサン・ヴォルトの看板にこだわった点に、僕はけなげにもかすかな期待を抱いている。

そしたらライアン、次はウィスキータウンの出番じゃないか。もちろん、こっちはケイトリンにそっぽ向かれちゃったらナシだけど、そろそろとびきりイモ臭いやつ、お願いできませんか?


(高野匡哉)


(左から)Faithless Street、 Strangers Almanac、 Pneumonia





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